浦上天主堂の風景
天主堂 |
原爆で焼けた石像と千羽鶴 |
マリア像と記念碑 |
ライトアップ |
出典:4travel
浦上天主堂とは
浦上天主堂(浦上教会)は、明治時代になってキリスト教の禁教がとかれた1873年に信徒達によって建設が企画されました。はじめは資金が集まらず苦労したそうですが、約20年後の1895年、フレノ神父の設計による教会の建設が始められました。そしてさらに20年後の1914年、東洋一のロマネスク様式の大聖堂として献堂式があげられました。
当時、教会の正面にある双塔にはフランス製のアンジェラスの鐘が備えられていました。しかし、1945年の原爆投下によって建物は破壊され、アンジェラスの鐘は鐘楼とともに崩れ落ちてしまいました。鐘楼の片方は天主堂の内部に倒れ、もう片方は近くの川へ転げ落ちました。原爆によって黒く焼けた聖人像などの石像は今でも残っており、平和を祈る千羽鶴が献じられています。
その後、戦争が終わってから修復が行われ、1959年には鉄筋コンクリートで再建されました。さらに1980年にはレンガタイルで教会を改装し、当時の姿が復元されました。
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浦上天主堂詳細
名称 | 浦上天主堂 |
所在地 | 長崎県長崎市本尾町1-79 |
アクセス | 長崎駅からバスで15分 |
営業時間 | 9:00~17:00 |
休業日 | 月曜 |
料金 | 無料 |